So-net無料ブログ作成
検索選択

幻の高高度戦闘機 キ94 [書籍]

幻の高高度戦闘機 キ94―B‐29迎撃機の開発秘録

幻の高高度戦闘機 キ94―B‐29迎撃機の開発秘録

 

長谷川龍雄氏が保存していたキ94を中心とした設計資料、日記を基に山崎氏が編集したもの。当事者の第1次資料ベースなので資料としての価値は高いと思うが、メモの類はカメラで撮影した写真を掲載した箇所が多く、しかもサイズが小さいので細かな文字が判読できない箇所も多数ある。また日記、メモの内容は一部活字に起こしてあるが、ここは逆にそのままの順序で転記してあるので、系統だったキ94の開発のストーリーがわかるという内容ではない。

【第二章】層流翼の時代

長谷川氏は昭和14年東京帝大航空学科卒。同期に鶴野正敬氏がいる。立川飛行機に入社するが、同時に東大の講師も勤める。このときケンブリッジ大のB・M・ジョーンズ教授の層流翼に関する実験レポートを見ている。東大では航研の谷一郎氏が昭和15年6月よりLB翼を発表しているが、長谷川氏は翼の後縁にRを付けることにより特異点をなくして、フーリエ級数を使った微分方程式で翼型の解析が出来るように考案した。これで新たな層流翼型であるTH翼型(THはTachikawa HikoukiでもTatsuo Hasegawaでもある)を設計した。

【第三章】キ94開発の経緯と設計説明書

長谷川氏がTH翼を使った戦闘機設計の開発を経営陣に働きかけ、その後陸軍に話を持ちかけたとのこと。陸軍からの正式な試作指示があったのは昭和18年6月。11月29日から実大模型の審査が始まるが、翌年2月25日に突然中止。パイロットの脱出方法などが問題視されたとの話は他の書でも見かけるが、それについてはここに書かれているように図面審査の時点で分かっているはず。恐らく経験の浅い立川に奇抜な形態のキ94Iを任せるのが不安だったんじゃないかなぁ。その後陸軍はキ87をベースにして試作し直すことを促したらしいが、長谷川氏も立川も了承せず一時放置。その後4月28日に駒村少将が立川を訪問し、オリジナルの設計でII型を再設計することが決まったらしい。たった1ヶ月後の5月26日には審査会が開かれている。

  • キ94設計説明書より(長谷川氏が作成配布したもの)
  1. 最大速度 750km/h (10000m)
  2. 実用上昇限度 15000m
  3. 航続距離 全力30分+巡航465km/hで2.5時間、落下タンク装備でさらに2.5時間の巡航
  4. 着陸速度 130km/h
  5. 防弾はパイロット正面のみで、20mmの徹甲弾を射距離50mで完全に防ぐ。タンク類は20mm炸裂弾を想定
  6. ペラ直径は4.00mで4翅案と6翅案の2つ
  7. 発動機はハ-44 12型で過給機は1段2速+排気タービン(ル-124またはル-204)
このほか詳細な図面と仕様諸元あり。やはりノートのコピーが見えにくいのが残念。

 

【第四章】 航空機設計者達の戦い - 試行錯誤の日々

昭和17年10月から18年9月にかけての長谷川氏の作業日誌が転記され、ノートの写真が何点かある。キ91の発動機候補としてハ-117、ハ-217、ハ-108、H型の名前がある。ハ-108は空冷4列、H型はセイバーのような24気筒らしいが詳細不明。排気タービンのメモや、B-17Fの諸元を書き取ったもの、ランカスターI、IIIやハリファックスII、モスキートII、IV、P-38F、G、タイフーンIB、P-47B、D、サンダーランドIIIの爆弾搭載量、航続距離、行動半径などを記したノートなど興味深い。またトラクター方式とプッシャー式の長所、短所を検討している項目もある。

【第五章】 飛行機設計者達の闘い - 技術研究会と再度の挑戦

前章のタイトルは「航空機」としてるのに、この章はなぜ「飛行機」と呼び方を変えている?最初にキ87との比較の話が書かれているが、その中にキ87は脚の設計ミスで翼内に格納できなかったとある。本当か?昭和19年6月にキ87を流用しないオリジナル設計で開発を進めることが承認されている。主翼外皮に1.6mmのものを採用し、電機スポット溶接をすることで工作の簡易化、表面の平滑化を狙っている。フラップは特殊ザップ型。主翼取り付け角は大きめの3度。キャノピー形状もTH翼と同じ用に計算によって求めた。昭和19年の技術研究会の記録があり、高高度飛行に関するタービンやゴムなどの技術的なものから、気象や身体への影響まで考慮していたことが残されている。昭和20年2月の飛行日本という航空雑誌に寄稿した文章あり。この中にP-47の排気タービン艤装図が載っている。やはりキ94でもP-47を参考にしたらしい。

【第六章】 航空機設計者達の闘い - キ94の完成

長谷川氏の目にはB-29のオイルクーラーは大容量で余裕がありそうだが、キ87は不足気味に映ったらしい。上昇力はキ87が10000mまで14分なのにキ94は17分半以上と計算されていた。レーダーで敵機を発見してから飛来するまで20分かかるので大丈夫ということらしい。昭和20年5月1日から終戦前日までの日記が掲載されている。終戦間際で組み立てるための部品を調達するのに苦労している。終戦直後アメリカに送られるために移送中のキ94を偶然長谷川氏が見かけている。アメリカまで到着したのは間違いなさそうだが、その後の所在は不明。ただし発動機だけがスミソニアンにあるらしい。

【第七章】 民生技術への転換

戦後トヨタへ入社してからの話。航空機設計の技術、設計手法を取り入れたのは他の技術者達、会社でも同じか。NASAが1970年代にスーパークリティカル翼のパテントを全世界で押さえようとした時に、長谷川氏らの戦中の研究が証拠となって公知の事実として退けられた。1996年日本学術振興会がまとめた「民生技術への転換」という冊子に長谷川氏の文章あり。このときトヨタの専務取締役。この中で海軍と陸軍の対比として海軍は口出し過ぎという印象を持っていて、あまり好まれていない様子。最後に長谷川氏の「主査に関する10か条」が記されている。いずれも技術者のリーダーというより、プロジェクトリーダーとしての心構えのよう。

やっぱり、まとめ方によってはもう少し面白い本になったような気がする。著者の力量ということではなく、企画の問題かと思う。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

メッセージを送る

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。