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航空ファン No.707 2011/11 [雑誌]

航空ファン 2011年 11月号 [雑誌]

航空ファン 2011年 11月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 文林堂
  • 発売日: 2011/09/21
  • メディア: 雑誌
【VFC-12 "Fighting Omars"】
VFC-12のF/A-18はフランカーカラー。全12機を運用するが、予備役飛行隊なので、そのうち8機が揃って飛行する今回のシチュエーションはかなり珍しいらしい。空撮で9ページ。
【MAKS 2011】(徳永克彦)
8月16日から21日まで開催。今回で10回目。話題を独占したのはT-50。飛行中のものを中心に6ページほど。上、下、側面、正面からとアングルも多彩。操縦桿はサイドスティックではなく、センターにあるらしい。HUDは大型のワイドアングル・ホログラフィック。ウェポンベイはエンジンナセルの間に4つ。インドが開発費の35%を負担とある。
そのほかSu-34、MiG-29SMT、MiG-31BM、Su-35、ベリエフA-50M、Mi-26M、Mi-26T2など。
【ありがとう!東松島元気フェスタ】(田中克宗)
8月20日開催。スモークを引いた遠景からの写真が主。
【ブルーインパルス、築城基地でフィールドアクロ訓練を再開】(田中雅之)
2ページのみだが、快晴の空にT-4白がきれい。
【RIVET JOINT IN OPERATION】(山内秀樹)
100ARWのKC-135R。背中にざっと見ても10以上のブレードアンテナ。長いレドームの中にあるのはAN/APN-59レーダーと51V-4Aグライドスロープ用アンテナなるものが入っているらしい。機首両脇にも四角い出っ張りもアンテナ収容部で、ここは胴体外皮の外になる。
【THUNDER OVER MICHIGAN】(田宅敦将)
7月23,24日に開催。主催はヤンキーエアミュージアムで、ここは元B-24の製造工場。小さなカットが多いが、機種も多い。FM-2、SDB-5、F8F-2、SB2C-5、P2V-は飛行中の姿。他にPBY-5AやF4U、F2G、B-17Gなど。21型(N712Z)と21型(N8280K)の零戦2機が飛ぶ姿も。
【Seafair Fleet Week in Seattle】(田宅敦将)
8月1日から開催。EA-6B、EA-18G、AV-8B、A-26C、MV-22など。
【NAS Whidbey Island CONA FLY-IN】(田宅敦将)
7月30日にNASウィドビーアイランドで開催。こちらもEA-6B,EA-18Gなど。一番大きな写真はVFA-122"Flying Eagles"のF/A-18F。、それと編隊をくむA-1Dもあり。NRA-3Bスカイウォーリアも小さく1カット。
【Perfect moment】(中野耕志)
7月9日にイギリスRNASヨービルトンで開催されたRNAS Yeovilton Air Day 2011の様子。ソードフィッシュとか、バルカンとか、シービクセンとか。
【トゥールーズ航空歴史館収蔵予定機】(青木謙知)
2013年に会館予定の航空歴史館に収蔵される機体。2ページだけだけど面白そうなもの多し。フランス初のジェット旅客機シュド・カラベルが2機もある。当然エールフランスのコンコルドも。その他はノール2501Fノラトラ、パトルイユ・ド・フランス塗装のダッソー・ミステールIV A、ヨーロッパ初の超音速実用戦闘機になたシュペルミステールB2、飛行隊編成50周年記念塗装のダッソー・ミラージュIII E。
【Vintage Glider Rally 2011】(瀬尾央)
ドイツのワッサークッペというところで、1920年からレーン滑空競技会というものが行われている。最初はたいした機体はなかったようだが、1922年大会で3時間10分の滑空記録がうまれ、27年には53kmの距離記録がでた。30年には150km、31年には220kmと記録が伸びている。34年以降はDLV(ドイツ航空スポーツ同盟)が統括し、1937年にはNSFK(ナチス飛行士団)へと継承改組される。その頃の滑空学校は27校もあった。ウィリー・メッサーシュミットが1922年にフレデリック・ハースと設計したのはS-10。アンソニー・フォッカーは1922年にFG-2という複座複葉のグライダーを作った。アレキサンダー・リピッシュも1923年にDjavlar Anammaという機体を設計。
写真はDFS Habichit (1936)、Condor IV(1950)、Kranich (1935)、Slingsby Type 21 (1947)、Hols Der Teufel(1928)、Fock-Wulf Kranichi III (1950)、Breguet 905S(1958)、Huter H-28 II (1936)、Zlin Z-24 Krajanek (1945)。
【中国海軍空母出現と世界の空母&艦載機】(石川潤一)
<識者に聞く>
青木謙知、岡部いさく、能勢伸之、田辺義明。
【スペースシャトルの30年】(江藤巌)
【空夢 第35回現代の零戦乗り】(清水郁郎)
フライアブルな零戦は今のところ世界に3機あるそうだが、そのうちの1機が Texas Flying Legends Museumが所有するもの。エンジンはR-1830で形式としては21型相当。この機体の常任パイロットがWarren Pietschという人。この人に零戦の印象を聞いてみた、という話。
「中速までは一級。90~180Ktはワンダフル。コントロールは抜群。タイトターンではエレベーターが重いがタイトに回れる。大きなGをかけると主翼にシワがよるが、強度は充分にあると理解している。」
「離陸はきわめて短いし、加速もよく上昇も速い。しかし200ktあたりからスティックは非常に重くなり、高速では不利になる」
「どんな運動をしていても軸が安定しているから、銃のプラットフォームとして優れている。P-51も安定していてゼロだけが抜きん出ているわけではないが、P-40は舵の反応が鈍く、起動すると軸がぶれやすい」
また、リバースエンジニアリングを行ったブレイド社のEarl Calverleyの感想もあり。
「ゼロの機体の部品数はアメリカ戦闘機の3倍くらいある。ムスタングに比べたら厚さが1/3くらいの薄板を箱状に組み合わせ剛性を出す構造で、製造現場は大変だったと思う。」
「残骸の部品を調べてわかるのは、たとえば溶接部品などは今の最新の設備でもなかなかできないくらいの精度で、驚くほど丁寧に作られている。熟練の人たちが心をこめて作ったことがうかがえて印象的だった。」
「当時、Mr.ホリコシは世界最新の航空技術の知識を持ち、高い目標を狙ったことがよくわかった」
【陸軍愛国号献納機調査報告 その2 献納概況、さまざまな献納者】(横川裕一)
献納はそれ自体が3回のブームになっていた。第1次はは昭和7年~9年で上海事変や国際連盟からの脱退があった頃。第2次は昭和13年~15年で盧溝橋事件から日中事変、ノモンハン事変の頃。最後の3次は昭和17年以後で太平洋戦争の真っ盛り。愛國号は数なくとも7169号が確認されているから7000機以上あることになるらしいが、当時の生産数などから考えると実際にはもっと少なく、機体そのものを作る他は一般戦費に組み込まれたと予測。
献納は小布施氏という民間人が行ったように個人で合計77万円、10機というすごい例もあるが、一般には宗教団体、学校教育団体、医療団体、デパート、航空関連団体、船舶運輸関係、新聞社などから行われた。
【航空機設計のツボ、主翼とエンジンの関係 第5回;飛行機の翼面積、出力と飛行性能 その1】(中山久尚)
各国の代表的な機種について、初飛行年に対する(1)最大速度、(2)有害抗力係数、(3)翼面荷重、(4)出力重量比をプロットしたグラフあり。日本以外の独、米、英は最大速度を延ばすことを重視している。特にドイツは翼面荷重を大きくして最大速度をかせいでいる。出力重量比は雷電、四式戦の値がトップクラスでP-51Dなんかはかなり低い。
何かの本で鳥養先生は最大速度は翼面荷重ではなく翼面馬力が効く、と言っていた気がするが、ここでは数式を使って翼面荷重がパラメータになっていることを説明。また翼面荷重と最大速度をプロットしたグラフでも確かに比例関係はありそう。
後半には上昇率と推定プロペラ効率をプロットしたグラフもあり。日本機のプロペラ効率の改善がほとんど見られないのに対し、欧米は明らかに向上している、といった感じか。上昇時間から推定されたプロペラ効率のグラフで九五戦、一式戦、三式戦の成績がやけにいいのが気になる。グラフのプロットされた点はたくさんあるのに、全部について機種が書かれていないのが残念。
【Fw200 コンドルの検証 2】(国江隆夫)
緒元性能と全体。全長は23.850m、全高は6.500m、全幅32.840m、3翅プロペラの直径は3.500m。あとはコックピットなど。
【世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功した二人の米国人パイロットと出発地、三沢の人々のこと】(竹縄昌)
ミス・ビードル号で太平洋横断を行ったのはクライド・エドワード・パングボーンとヒュー・ハーンドンJr。パングボーンはバーンストーマーとして活躍するくらいの腕だったが、ハーンドンは操縦覚えたての初心者。チームを組むにはハーンドンは難のある相手だったが、ハーンドンの実家が資産家だったため離れられなかったようだ。
太平洋横断の最初の挑戦は1928年8月のハロルド・ブロムリーによる。このときはシアトルの近くのタコマ市から西回りで挑戦。30年9月に今度は青森淋代海岸から挑戦。使用したのはエムスコB-3タコマ市号。翌年5月同じ機体(名前はパシフィック号に変更)を使って挑戦したのはトーマス・アッシュ。しかし離陸もできずに失敗。どうも元の機体自体に問題があったらしい。さらにその後、エムスコ社の販売部長のセシル・アレンとテストパイロットのドン・モイルが、やはり同じ機体をベースにNACAカウリングを追加し、尾翼を改良したもので挑戦。名前は機体の持ち主ジョン・バファリンの娘の名前からクラシマナッジ号となっていた。途中燃料漏れのトラブルで不時着したが、島伝いに太平洋を横断した。彼らは出発前に立川飛行場でミス・ビードルを改造中のパングボーンチームを訪れている。
10月4日今度はミス・ビードルが挑戦を開始。41時間13分後7900kmを飛行してファンチャー飛行場に胴体着陸した。朝日新聞から懸賞金5万円(現在の価値で約1億4千万円相当!)が授与されたが、ハーンドンが出していた諸費用分を差し引いたらパングボーンにはわずかしか残らなかったらしい。
このミス・ビードルの復元機が8月18日に三沢で飛行した。写真も何枚か。
高くゆっくりと真っすぐに翔べ (1981年)

高くゆっくりと真っすぐに翔べ (1981年)

  • 作者: 三沢市教育委員会
  • 出版社/メーカー: 三沢市教育委員会
  • 発売日: 1981/03
  • メディア: -
 
ミス・ビードル、高くゆっくりとまっすぐに翔べ―太平洋無着陸横断飛行に挑戦した男たちの記録

ミス・ビードル、高くゆっくりとまっすぐに翔べ―太平洋無着陸横断飛行に挑戦した男たちの記録

  • 作者: 伊藤 功一
  • 出版社/メーカー: グリーンアロー出版社
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 単行本
 
【三沢基地航空祭】
9月4日開催。F-2A/B、クンサンからのF15E、シャークティースのOH-6Dなど。
【横田基地友好祭】
8月20日、21日開催。こちらもクンサンのF-15E、VFA-94のF/A-18Cとか。
【第二次大戦ミニ航空史話 第95回ドイツの対艦船誘導爆弾を阻止せよ!】(田村俊夫)
ヘンシェルHs293とフリッツXが使われたのは1943年のビスケー湾。8月25日は大した戦果はなかったが、27日にスループ艦エグレット(排水量1200t、英)が沈没、駆逐艦アサバスカ‘(2560t、加)を大破させた。 これら誘導弾に対して母機からの誘導電波を妨害することが計画され、その周波数を知るため捕虜の尋問も行われた。しかし捕虜は周波数自体は知らず、作戦前に使用するクリスタルの番号だけが伝えられるだけだったので正確な情報は得られず。可能性があったのは19.2MHzと40.2MHzだったが、後者は他の機器と干渉すると捕虜が証言したため、米海軍研究実験所ラジオ部門が超特急命令(AAA1というらしい)で20個の探知機と5個の妨害機を作成。2隻の駆逐艦に搭載されたが、周波数がやはり異なっており結果は失敗。
しかし、その後フリッツXの残骸や日本への暗号解読などから周波数を割り出し、ECM装置が改良されて効果を発揮した。

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